いよいよ、大物【ビタミンC】の登場です。

  • 2008/01/30(水) 23:22:57

いよいよ今夜は大物【ビタミンC】の登場です。

ビタミンC!
かつてのCMのフレーズ「CCレモンっ! CCレモンっ!」
と歌う水前寺清子さんの声が残っています(古いなぁ…)
ビタミンC配合!と聞くと、それだけで元気になりそうな気がします。
繰り返し植えつけられたイメージは大きい。

【ビタミンC】
レモンやピーマンなど多くの野菜や果物に含まれています。
活性酸素を消去して体の酸化を防ぎ、皮膚や骨を丈夫にするコラーゲンの
合成を助けて、ストレスに対応するホルモン合成を助ける。
さらに鉄の吸収を促進し、酸化され効力を失ったビタミンEを元に戻す。

なるほど、これは大したヤツですね!

不足すると、疲れやすい・傷の治りが遅い・歯茎から血が出る。
煙草を吸うと活性酸素が体内に増えてくるので、ビタミンCが不足する。

う〜ん、気をつけないといけないですね〜(><)
私はヘビースモーカーなので、きっとビタミンCが不足しているのでしょう、
たぶん最近どこも悪くはないのに、疲れやすい…なんて感じるのは
もしかするとビタミンCが足りないせいかも知れません。
ちなみに最近は本数が減って1日2箱ぐらいかな?
多いときは1日5箱、100本吸ってました!(^^;)
仕事中はずっとチェーンスモークで、すぐに灰皿が吸殻で一杯!
お酒も結構飲むし…いけませんね〜自分でも思います。

さらに日々、慌しく過ごす中でインスタントやレトルトで食事を済ませ、
野菜や果物はついつい不足してしまいます。
最初の頃に書きましたが、最近の野菜や果物は栄養分が落ちているそうで、
その野菜さえ食べていないとすると、これはマズイでしょうね…。

だから、健康食品やサプリで何とか補おうとするワケですね。
だんだんと解ってきたような気がします。

これからは「ビタミンC配合!」に気をつけてみたいと思います。


(^^)今夜もサックリと進めたいと思います。

  • 2008/01/29(火) 22:47:52

ビタミンBの話はどこまで続くのだろうか?(^^;)

今夜もサックリと進めたいと思います。
もういい加減長くなったし、書いている本人も飽きてきました(笑)

【ビタミンB-12】の続きで…【ビタミンB-15】

こいつは、生体に欠かせない物質かどうか良く解らないそうで、
もうビタミンの仲間には入れないようにしようかぁ…
な〜んて、そんな感じらしい…
皮膚の新陳代謝を早める事から、シワ対策として化粧品に含まれるそうです。
これは、私には関係ないね。

さて、じゃ次へ行きましょう。

【ビタミンB-t】
ん?何だこれは?欠番でもないし通しナンバーでもない?
まぁ、もう深く考えるのは止めにして、とりあえずの分類ぐらいに理解したい。
これも、それほど重要な物でもないらしい。
慢性胃炎の治療薬として使われるそうです。
薬の関係は、それは専門の方にまかせましょう。

じゃ、次!
今日は調子がいいね(^^)

【ビタミンB-x】
いかにも過ごそうな名前です。何だか健康ドリンクのネーミングのようだ…。
テレビCMに出てきそう(笑)
「元気出して行こうぜ!朝一番にこれ1本!ビタミンB-x!」

しかし、人間にとって必要な物質かどうかは解らないそうです。
何じゃ?それは(笑)

次々と襲い掛かるB軍団…後になるほど凄いヤツが登場するかと思ったら、
いわゆる「竜頭蛇尾」ってヤツですか?
最後は意外にあっけなかったですね。

覚えなくても良い程度の相手だった(^^;)


さてこれでB軍団は終わりで、次はいよいよ大物【ビタミンC】の登場です。


【不定期エッセイ:再放送その48】10年ぶりの東京:2

  • 2008/01/27(日) 13:11:56

【優星不定期エッセイ:再放送その48】土・日掲載予定
 
■10年ぶりの東京:2

ホームの上で待つ事約1時間、あっと言う間でした。
自分が乗る新幹線がホームに入ってきました。
意外と止まっている時間は短いので、乗り遅れないように…。
緊張しました〜、いや別に緊張するほどではないんですけどね。
自分の席に付いて記念撮影していると、近くの席の老夫婦から笑われた〜
ええやん、新幹線が珍しいねん♪
 
あれこれ荷物を置いて、席の座り心地を確認していると、
あっと言う間に新大阪に到着です。新神戸〜新大阪は約10分ほど。
さすがに新幹線、速い速い!!
そうこうしている間に京都に到着しました。残念ながら外は雨です。
これで景色が良かったら、もう最高なんですけどね。
そんな事を考えながら、ぼ〜〜っと外を見て過ごす…
この時間が何とも良いんですね〜。
すぐに名古屋に着きました。
 
少し早いけどお昼ご飯にしよう、買った駅弁が気になってしようがない、
神戸名物「肉めし」(^^;)
神戸に住んでいて、わざわざ神戸名物を食べなくてもよさそうですが、
あまり深く考えない、とにかくお腹すいたし。
ドライカレーの上に牛肉数切れが乗った物、結構いい味だったね。
ワインで味付けして、じっくりと煮込んだ物らしい、思ったより軟らかい。
食べ終わって、あ、しまった写真を撮るのを忘れた!
うむむ箱だけでも記念に撮っておくかな。
 
お腹一杯になって、ちょっと眠くなってきて、うつらうつらしていると、
静岡に止まった、あれ?なんで「ひかり」がここに止まるの?
なんて思ってたら、今度は熱海にも止まった…。
雨がかなり強くて外は何も見えなくなってきた、ちょっと寒いし…
せっかくの10年ぶりの東京、晴れてくれないかなぁ。
私は雨男では無かったはずなのに…、かなり残念です。
 
そして、おお〜、ついに到着!
品川を過ぎた辺りから風景が東京らしくなってきます。
「東京モノレール」の文字が見えて、とうとう着いた〜って実感しました。
何だか着いてしまうと、あっと言う間だった。
ついさっき自宅を出発した気がする、でも4時間以上過ぎているんですよね。
東京駅で山手線に乗り換えて、原宿へ向かいます。
キカさんの個展会場が原宿だったのです。
「原宿」う〜ん、何ともオシャレな良い響き…。東京!って感じがする〜。
原宿の駅も写真に撮りました!すっかりお上りさんです。
 
雨の中をジーンズのスソを濡らしつつ会場まで歩く…
何だかドキドキしてきたぞ、ネットで知り合った方と初めて合う時の
あの何とも言えない楽しい感覚ですね。
声や姿は知らないのに、ずっと以前から知り合いだったような、
そんな不思議な感覚です、文字だけから色々とイメージが広がってます。
 
さて、会場に着きました。いやぁ良い感じの場所です。
あれ?ここはずっと以前に前を歩いた事があるぞ、
そうかぁ、ここだったのか、以前はまったく気が付かなかった場所です。
とても良い感じにレトロな建物です。
会場に入って、ついにキカさんとお母さんにお会いする事ができました。
キカさんは想像してた方より、背が高くてちょっとビックリ!
スラリとしたクールな美人さんって印象でした。
 
でも、緊張するやら照れくさいやら、あまり長い事話もできなかったですね、
うーん、恥ずかしいなぁやっぱり。
残念ながら旦那様の優翠さんとはお会いできなかったですが、
充分に楽しい時間でした〜〜!!
特に絵は素晴らしかったです、ネットで紹介されているのとは違って、
原寸大で迫力がありました。色や質感もハッキリと伝わりました。
やっぱり実物を見せてもらうのが一番いいですね!
 
キカさん&お母さん、どうも有難うございました!
神戸から来た甲斐があったと言う物です、良い作品を見せていただきました!
もう少し近くだったら、何度か見に来れるんだけど、
こればっかりはどうしようもないなぁ。
ネットで知り合った方が今度個展があるんだよ、って告知されるたびに、
あ〜、残念だなぁ近くだったら行けるのになぁって思います。
 
さて、原宿の会場を後にして今夜の宿へ向かいます。
宿は神田の「YMCAホテル」です。
ここには思い出話が、またしても沢山あります。
私が大ファンの神田駅前の焼鳥屋さんの話もあります。
10年ぶりの東京、あと1回だけ続きます。


おわり。
次は来週掲載します!


【不定期エッセイ:再放送その47】10年ぶりの東京:1

  • 2008/01/26(土) 12:56:07

【優星不定期エッセイ:再放送その47】土・日掲載予定
 
■10年ぶりの東京:1

昨年2002年の10月、10年ぶりに東京へ行きました、その記録です。
と、言っても写真付きプチ旅行記はスペシャルページにあるので、
(このページは今は休止しています…)
ここでは文字だけで別角度からの記録です。
 
ネットで知り合った画家さん(キカさん)の個展を見に行きました。
直前まで行けるかどうか、わからなくて不安な部分もあったんですが、
何とか無事に最終日に間にあいました。
 
思えば東京は、なんと10年ぶりでした!
この前に行ったのはいつ?何の用事だったかなぁ…
そうそう、やっぱりネット関連でした!
むかし昔まだネットが「パソコン通信」って呼ばれていた時代に、
東京までオフ会に出席しに行ったのでした。
ああぁ懐かしい〜、って、えっ?そんなに時間が過ぎた?って感じですね。
 
ところで私は新幹線に乗るのが大好きです!
特に2階建てのタイプの2階席!(贅沢にグリーン席ですが…)
しかし久しぶりに時刻表を見ると、あまり運行されていない…
ありゃ?かつては結構走っていた記憶があるんだけどなぁ…
出発予定時間の都合もあるし、しようがない諦めました。
それでも、せっかくの10年ぶりの新幹線です、思い切ってグリーン席です!
 
JRみどりの窓口で座席の予約して、もらった乗車券を見て驚き!
ややっ、小さな磁気カードになってるじゃないですか!
う〜む時代は進んでいるんだなぁ、かつては紙の切符をホチキスで止めてた。
改札でポコンと穴を空けてもらったものでした…。
いつの話やねん? だから10年前の話なんです。
へへ〜、嬉しいなぁ新幹線のチケットゲットぉ〜
いや、もう遠足前の小学生状態ですな。
 
さて、出発当日あいにくと雨が降っていました。
しかし嬉しさのあまり全然気にもせず、予定時刻の1時間前には起きてた!
こんな時は目覚まし時計も必要無い、自然に不思議と目が覚めますね。
カメラも持った、お土産も用意した、チケットよし、その他持ち物準備よし。
さて、時間は予定よりかなり早いけど出発するかな!
駅までの道のり、度々話題に出る近所の焼鳥屋さんも撮影しよう!
プチ旅行記みたいな感じに東京まで写真を撮りながら行こう。
 
近所のJRの駅から、神戸で一番賑やかな街、三宮に到着しました。
電車で約20分ほど、ここから地下鉄に乗り換えて新神戸まで1駅です。
おお、久しぶりにやってきた新神戸の駅〜〜、ほんと久しぶりです。
ここは新幹線専用の駅なので、普段はほとんど用の無い駅です。
ここに来ると思い出す事が、もうひとつ別にありまして、それは…
 
かつてある女性と、つき合っていた時期がありまして、
彼女が新神戸駅のすぐ近くに住んでいたので、デートの帰りに家まで送って、
新神戸駅の構内の喫茶店で、しばらく語り合ったものでした。
帰り道に陸橋の上から、新幹線が次々に通過するのを二人で見ていました。
その頃すでに私は今の仕事を始めていたので、その女性から、
「東京でもお仕事できるようなればいいね、がんばってね」
な〜〜んて励ましてもらったものでした…(^^;)
 
う〜〜む、なかなか話が前に進まないですね…。
ええと、どこまで進んだかな?あ、そうそう新神戸駅まで来たんだ。
駅のホームに上がると、何だか人が一杯いるんですよ、
女子高生集団!賑かな事!修学旅行で九州方面へ向かうのだと思います。
強烈に賑やかでした〜〜。
私はゆっくりと売店を見て回り駅弁をどれにしようか?なんて迷ってました。

そうしている間にも次々と新幹線がやって来る!
おお!新型車両だ!カッコイイ〜!
よっしゃ!写真に撮っておこうかな〜〜!!
10年ぶりの新幹線にかなり興奮状態であります。
 
パート2に続く。
(思ったより長くなってしまいそうです…)


おわり。
次は明日掲載します!



なぜだ?6の次がどうして12なの?(笑)

  • 2008/01/25(金) 23:26:00

次々と襲いかかるビタミンB軍団であります(笑)

今夜は「B-6」の続きで…
【ビタミンB-12】

なぜだ?6の次がどうして12なの?(笑)

それは後で考えるとして…

【ビタミンB-12】ってのは、炭水化物や脂肪を分解し、
遺伝子の元になる物質を合成するために必要です。
不足すると、細胞分裂に支障をきたし赤血球が足りなくなって貧血になる。
それから、動脈硬化も進むらしい…

で、多く含まれる食品は、肉類・卵黄・レバーに多いそうです。
むむ?B-6に似ていますね…

しかし、なぜこうも欠番が多いのだろうか?
読売ジャイアンツだって、こんなに欠番はないと思う(笑)

欠番…
私が推測するに…(あくまで私の推測です…)
かつてビタミンってのが発見された、学問的に確立されつつあった時代、
バラバラに見つかって別の名前だったのではないか?
それが、整理されて構造や性質が明らかになって分類がハッキリしたのでは?
ビタミンの中で性質が違う物を大カテゴリーとして、Aから順番に分類して、
さらに小さいカテゴリーに分けて、番号を振っていった。

すると、B群の中で単純な構造から1・2・3〜と付けていったとして、
構造的に似ていない、あるいは不明な部分を飛ばして付けたのではないだろうか?
つまり「欠番」じゃなくて、未発見なんだ!
これは私のあくまで推測ですよ(^^;)
(この辺り、どなたか詳しい方がいたら、ご教授下さい)

ところで話は変わるのですが、皆さん宝石のダイヤモンドはご存知ですよね?
ダイヤモンドの価値は以下の4つの要素の組み合わせで決まります。
・カラット(重さ:大きさ)
・クラリティ(透明度:不純物を含まない具合)
・カット(カッティング技術)
・カラー(色合い:無色透明〜黄色味)

この内、カラー(色合い)の段階は「D」から始まって「Z」まであります。
一番価値のある無色透明なのが「D」クラスと呼ばれる物です。
「憧れのDの輝き…」なんてキャッチコピーで使われます。
じゃ、なぜ一番上が「D」クラスなのだろう?
それは、将来もっと凄いダイヤモンドが発見された時に空けてある等級で、
それが「A・B・C」クラスなんですね。
未発見のダイヤモンドのために、わざわざ空けてあるのです。

ビタミンのシリーズの欠番を、なぜだろう?
と思っていると、ふとダイヤモンドの話を思い出しました。
欠番ではなくて、未発見あるいは該当者なし…って事かな?

私は、宝石関係の広告の仕事もしているのでダイヤモンドの話が出てきました。
宝石も化学的に見ると面白い世界なんですよね…(^^)
これについては、また別の機会に書きたいと思います。

それでは皆さん、おやすみなさい!


ビタミンBは沢山あるなぁ…次々と襲いかかるB軍団!

  • 2008/01/24(木) 22:51:17

忙しくてブログが更新できないっす…(><)
なんとか続きを書きたいと思います。

じゃ、今夜もサクッと続きを行きましょう。
しかし…ビタミンBは沢山あるなぁ…次々と襲いかかるB軍団!

【ビタミンB-6】
たんぱく質や炭水化物を分解してエネルギーを取り出す。
神経伝達物質や赤血球の色素成分、核酸などを合成する、と。

またここで解らない単語が登場(^^;)
核酸ってなんだ?

しかし!今夜は疲れているので後回しにして、
どんな食品に含まれるかと言うと…
マグロ・鶏肉・牛レバー・ニンニク・ピスタチオなど。

不足すると、湿疹や口内炎、貧血、フケ症などが起こりやすくなって、
さらに不足すると、代謝反応が鈍くなって動脈硬化が加速する…。

うむむ…これは怖い(^^;)

しかし、ひとつづつ見ていると、どれもこれも必要なものばかりですね。
どれぐらいの量が毎日必要なのか?
私の買ったテキストでは、それがイマイチ解らないですね…
イラストとか入れて、このぐらいの量だよ〜なんて解説してほしい。
そうでないと妙な恐怖感がつのるばかりです(笑)

とにかく、このビタミンB軍団は数が多い…
それを突破するのが、とりあえずの目標ですね〜
ゲームで言うと序盤の一番つらい辺り?
レベルアップ目指して頑張ってみるかな。


ん?ビタミンB-4は欠番ですか?

  • 2008/01/22(火) 22:40:55

今週はちょっと忙しくて…
なかなかブログを書く時間が取れそうにないです。

さて、素早く続きを書きましょう!(笑)

ビタミンB-3まで来ました。今夜はその続き。
【ビタミンB-5】です。

ワープロを打ち間違えたのではありません!
なぜか資料にはB-3の次はB-5になっています。
B-4は欠番なんだろうか?それについては何も書かれていません…
何かあるに違いない!
ビタミンB-5そのものよりも、そっちの方が気になります(^^;)
う〜ん、気になるとますます気になる…
そのうち時間ができたら調べてみよう。

で、そのビタミンB-5なんですが、
古い呼び方は「パンテトン」と言うそうで、脂質やアミノ酸を作り出すのに必要。
あらゆる生物の体内に多く含まれていて、
天然の食材を普通に食べていれば不足する事はないそうです。

とりあえずB-5は心配しなくても良さそうですね。

ところで、どうでも良い話ですが(^^)
私は仕事柄「B-4・B-5」って文字を見ると紙のサイズを連想します。
皆さんもプリンター用紙とかで使いませんか?A-4の方が一般的かな?


また明日から再開したいと思います。(^^;)

  • 2008/01/21(月) 22:41:42

あの大震災の余韻がまだ残っています。

昨日・一昨日とエッセイ再放送をもう一度編集していて、
当時の事が思い出されて、ちょっと辛かったですね…。

ほんとに大変な日々でした。
震災の真っ只中の自分ですが、どこか非現実的な感覚でしたね。
映画の中にいるような…どこか現実感を喪失している…
そうでないと、パニックになりそうな、そんな感じでした。

あれから時間が過ぎて、喉もと過ぎればなんとか…
実家では地震後に避難袋なんて買ってあったんです。
後で用意しても遅いのですが、また余震がいつあるかわからないし。
でも、それもいつの間にか見かけなくなったんですよね…
辛い事も時間と共に風化してゆくものでしょうか?

さて、いつまでも地震の事を振り返ってばかりいられません。

毎日美味しい物を食べる事ができる、その事に感謝しつつ、
健康である事の意味を改めて考えてみたいですね(^^)
 
また明日から「健康食品について考える」を再開したいと思います。
たびたび中断しているから、読んでいただいている方も
何処まで進んだか?すっかり忘れていると思います。
ビタミンB-3まで進んだはず…(笑)
しかし、長くなりそうですよ〜

こうやって、つらつら書いていても何年か後に読み返すと懐かしく感じます。
今のエッセイ再放送がそうですから。
何か日々思う事を残しておくのは良い事だと思います。


【不定期エッセイ:再放送その46】大震災の記憶:2

  • 2008/01/20(日) 11:59:04

【優星不定期エッセイ:再放送その46】土・日掲載予定
 
■阪神淡路大震災の記憶:2

地震発生から数日間は、何が何だかわからない状態でした。
1週間ぐらい過ぎてから、あれこれ考える余裕も出てきたと思います。
 
思えば私が住んでいる垂水区は、一番震源に近いのに、
地盤や断層の関係からか被害は比較的少なかったです。
被害が最も大きかった地区では、最初の一撃でほとんどの建物が
全壊か半壊状態だったらしく、逃げる余裕もなかったと聞きました。
家を失った方々のその後の辛く長い非難所生活は、さぞご苦労があったと思います。
1月と寒い時期だったので、緊急に配られる食料や飲み物が冷たかった…。
そんな姿を見る度に、私はまだ自宅があって良かったと胸が痛みました。
 
そして、全国からは暖かい支援の物資が届き始めました。
テレビは連日ずっとこの地震の模様を伝え続け、ラジオは安否確認の情報が
流されていました。街も1週間を過ぎる頃から徐々に立ち直り始めていました。
JRや私鉄などの電車は動いていないし、自家用の車は自粛して欲しいとの呼び掛けから、皆さん背中にリュックをしょって、延々数時間も歩いて通勤してました。
自転車や原付きバイクも多数見かけました。
 
その中で、私が一番印象に残ったのは、救助活動に従事する方々の真摯な姿でした。
特に火災が多数発生しているのに、水道管が破裂して水がほとんど出ない、そんな中でも、命がけで消火・救助活動をしてくれた消防や医療関係の方々の姿を、私はずっと忘れないでしょう。
それから遠く離れた県外からも多数来ていただきました。
消防車や救急車の側面に、神奈川とか福島とか鹿児島って書いてあるのです、遠くから助けに来てくれた、と思うと有り難くて涙が出ました。
陸上自衛隊も多数来てくれて、瓦礫の中を一生懸命に活動していただきました、顔を見るとまだ20代前半ぐらいの若い方が多かった。
その他多数のボランティアの皆さん、全国からの暖かい励ましを送っていただいた皆さん、有難うございました。
多数の方々の支援と協力のおかげで、少しづつ復興への長い道のりを歩き始めるのでした。
 
その当時私は大阪でのクライアントさんが多かったので、何とかして大阪まで
辿り着かなくてはならない、心配していただいた得意先にも元気な顔を出して挨拶したい。
JRは芦屋まで何とか復旧しましたが、神戸から芦屋まで臨時のバスに乗らないといけない、これがまた道路は大渋滞でなかなか進まなかったです。普段なら30分もかからない距離が数時間もかかる酷い混雑ぶり。
緊急車両と土木関係以外の車両は自粛して欲しいとの通達にもかかわらず、こんな時でも平気で自家用車に乗ってる人もいるんですよね…。
他にも多数信じられないような出来事がありました。
地震当日に全壊した商店街の宝石店から商品が盗まれる事件がありました。
こんな非常時に何という事でしょうか、あまりに悲しく言葉もありませんでした。
 
この震災を教訓として、その後各自治体や国レベルでの地震対策が本格的に
スタートする事となりました。テレビやラジオでも地震の報道はかなり迅速に行われるようになったし、NHKでは24時間放送が始りました。
書店では、緊急時の対策や日頃から「避難袋」を用意しましょう、とそんな内容の出版物が数多く見られるようになりました。
しかし、悲しい事に喉元過ぎれば熱さ忘れる…今ではすっかり見かけなくなってきて、そんな時に東北で大地震があったと知り、大変に驚きました。
日頃からの準備はやはり大切なんだと、改めて実感したのでした。
 
さて、あの震災から8年過ぎた現在の神戸の様子ですが、
ほとんど倒壊した建物は新しく建て替えられ、以前よりも新しく奇麗な街になりました。
しかし、一歩道を奥へ入ると当時のまま潰れた家屋があったり、元町の大きなホテルは震災当時のまま放置されています。
これは当時スプリンクラーが自動で作動し、室内の高級家具などが水に濡れてしまって使い物にならなくなった、その責任の所在をめぐりオーナーと建設会社が今でも法廷で争っているためだと言われています。
 
震災復興を祈願して始った神戸のルミナリエも、今ではすっかり観光スポットとして全国的に有名になって、毎年観光客も屋台も増えて賑やかになりましたが、まだまだ経済的に受けたダメージは、充分に戻ったとは言えない部分があります。
特に港湾関係や旅館・ホテル業はこの経済不況やSARS騒動もあって、今もかなり厳しい状況のようです。
それでもやっと8年が過ぎて普通の日常が戻ってきた、そんな感じがします。
 
あの震災から私は、何を学んだのだろうか?忘れかけていた事も多くありました。
先日の東北の地震で、一気にあの日に戻ったような感覚でした。
決して忘れてはいけない事はあるのですね。
しみじみと平和に暮らせる有り難さを、再び実感しました。

最後にもう一度、あの震災で亡くなられた多くの方々の御冥福をお祈り致します。


おわり。
次は来週掲載します!


【不定期エッセイ:再放送その45】大震災の記憶:1

  • 2008/01/19(土) 12:44:44

【優星不定期エッセイ:再放送その45】土・日掲載予定
 
■阪神淡路大震災の記憶:1

一昨日東北地方で大きな地震がありました。
(2003年5月26日:夕方6時30分ごろ)
 
実家で姪と一緒に、ぼ〜〜っとNHKの子供番組を見ていると、
画面がいきなり切り替わって報道番組になった。
第一報は「東北地方で大地震発生!」でした。
これには本当に驚きました…
M7:震度6と言うと、8年前の神戸の阪神淡路大震災とほぼ同じ規模です。
しかも時刻は夕方の6時30分ごろ、帰宅中や夕食の準備中の方、
まだまだ仕事中で走り回っている方々を思うと鳥肌が立ちました…。
 
不幸中の幸いで、その後の情報を見ていると凄まじい大被害は、
発生していないようで、とりあえずホッとしています。
災害に遭われた方々、お見舞い申し上げます。
1日も早く復興・復旧されますように…。
 
ここで8年前の神戸での、あの凄まじい被害を思い出しつつ、
少し書いてみたいと思います。
今後の何かの防災の役に立つかも知れません。
亡くなられた多数の方々の御冥福をお祈り致します。
 
私は市内でも比較的被害が少なかった垂水区に住んでいます。
1995年1月17日まだ外が暗い早朝の事でした。
前夜に友人とお酒を飲んで、ぐっすりと眠っていた私は、
いきなりドーーーンと物凄い音で目が覚めました!

ガタガタガタガターと今まで経験した事がない激しい上下の揺れで、
何が起ったのか解らずにまったく動けませんでした。
台所では食器棚が倒れてきてガラスが割れる大きな音がした、
本棚が倒れて中の本が部屋中に散乱した、ガタガタガタガタもの凄い揺れ!
大型の重いテレビが前後左右に激しく動いています、
私が寝ている枕元にパソコンのモニターが転がり落ちてきました!
 
しばらくすると揺れは少しずつ収まってきました。
部屋の中は凄まじい光景です。何か大きな力で掴まれて、振り回された、
そんな感じでした。その時私が思ったのは、コレどうやって後片付けするの?
と、そんな事を漠然と思ったのでした。
その後、すぐに近所の実家の母から電話がかかってきて、
「大丈夫だった?!大変な事になってる!」
「すぐにテレビを付けなさい!」
地震直後はまだ電話は通じていましたが、すぐに不通になってしまった。
 
テレビのスイッチを入れて驚きました!!
ちょうど明るくなってきた頃で、報道のヘリからの空撮の画面でした。
高速道路が横倒しになっている、あの画面です。
確かに見覚えのある場所なんだけど、特撮映画を見ているようで、
まるで実感がありません、市役所が玩具のダルマ落としのように
3階〜4階部分が壊れて無くなっている!
駅前の見慣れた大きなビルが途中から折れて、斜めに傾いている!
 
街のあちらこちらから、数本の黒煙が立ち上って火災が発生している、
新幹線の高架や、JR・私鉄の高架が数カ所で寸断されて落下している…
あまりの凄まじい画面に、ただただ唖然と見入るだけでした。
その当時私は、友人の事務所に間借りしていたので、
その建物がどうなっているのか?今頃になって気がつくほどでした。
テレビ画面にチラッと似た建物が写ったら、激しく燃えていた…。
この間にも余震が数回ありましたが、パニックを通り越して変に静かな、
何処か他人事のような、非現実的な感覚です。
 
あの地震の当日、どうやって一日過ごしたのか?ほとんど記憶がありません。
市内に住んでいる親戚や友人知人に連絡しようと思っても、
電話がまったく通じません、どうする事も出来ない状態でした。
(当時はまだ携帯電話は普及していませんでした…)
とにかく今日は外に出たら危ないから家でじっと情報を待とう、と。
その頃実家で母と妹夫妻が同居していて、姪がまだ小さかったから、
何処かへ家族皆で避難しようか?と、そんな事を話し合っていました。
 
翌日、私は自転車に乗って神戸の中心街にある友人との事務所まで出かけました。
電車はまったく動いていません、いつ復旧するか?その目処さえつかない状態だし、
道路は緊急車両で一杯で、無事にたどり着けるか不安だったけど、
仕事の事も気になるし、行けば友人や知人とも連絡が取れるかもしれない、
自転車で約1時間30分ぐらいの距離です。
自宅を出て、市内の中心部に近付くにつれて景色がしだいに変化してきた。
木造の家屋がほとんど倒壊していて、道を塞いで自転車でも通過するのは
困難な場所が多数出てきました。
 
その時に私は思った、ああ垂水区は比較的あれでも被害は少なかったんだなぁ、
これは酷い、信じられない…。あまりの光景に現実感を喪失するほどでした。
いたる所で電柱が倒れて、電線がブラリと垂れ下がっています、
信号もついていない、車は渋滞し緊急車両も通過するのに四苦八苦している、
何処をどうやって来たのか、事務所になんとか辿り着きました。
テレビ画面で見た燃えていた建物は別の場所だったようです。
 
やがて仕事仲間がやってきて、◯◯さんの連絡が取れないとの事、
私がその人の自宅兼仕事場まで訪ねる事にしました。
近所まで来ると、街の様子がすっかり変わっていて、
何処だったか場所がわからない、何とか瓦礫を越えてやっと着くと
建物は半壊状態で表に貼り紙がしてあった「全員無事、◯◯小学校にいます」
小学校に行くと外壁に多数の安否を心配する貼り紙がたくさんあって、
多くの人で大混雑していた、私はとにかく無事を確認できたので、
そのまま、また事務所まで戻りました。
 
私はそれからまたその足で、今度は得意先や馴染みの場所を訪ねる事にして、
再び自転車で出発しました。
街は思ったよりも妙に静かだった事を覚えています。
見慣れた街が、まるで映画のセットのようで、あちらこちら傾いていて
遠近感がつかめません、何だか変に目眩がしそうな無気味な姿でした。
地震翌日にあたるこの日も、私は1日中走り回ったにもかかわらず、
疲れた感じはまったくなくて、まさに悪い夢をみているような感じでした。
 
辛い話が続きますが、パート2では、その後の模様や防災について、
非力な文章ですが書いてみようと思います。
 
パート2へつづく。


次は明日掲載します!